BEYOND ONE'S ABILITY

いくら強がっていても、泣きたい時もある

Anesthesiology

 

こんにちは。

はやいことにもう5月なんですね。

 

次の記事から映画レビューとか始めようかなとかなんとかおもっていますが

まだ語りたいこともあるので…。

 

 

1月9日よりお世話になっている麻酔科。(ペインクリニック)

その先生との出会い。

 

先生はもうだいぶ年配の先生で、もはや私からしたらもはやおじいちゃん。

やさしくて、言うべきことは言ってくれる、そんな先生。

 

 

小さい頃から病院ばかりの生活で、出会ってきた先生は数多くいらっしゃいます。

優しい先生ももちろんいらしたけれど、大半はいい言葉を投げかけてくれる先生ではなかったように思います。

 まあだからこそ、今反面教師として私の接客態度は評価をいただいているので良かったのかもしれませんが。

 

やはり、辛い時に跳ね返されて、治せない、管轄外、違うところへ行けと言われると

どうしたらいいのかわからなくなるものです。

 

いま実家の方でお世話になっている先生も、

麻酔科の先生も、きっと23年間の中でのいい巡り会いの中なんじゃないかと

思うほどに、優しくしてもらっています。

 

ブロック注射するときはものすごく痛いし、何かにすがっていないとダメになる。

だけどこれほどまでに、病院へ行くのが辛くないのは

やはりそこにいる看護婦さんと先生の優しさがあるからなんだろうなと思います。

 

この前、片頭痛がひどくて、首もつらくて、

それでも仕事頑張らなくちゃいけなかったとき、

「仕事辞めたい」と先生に涙ながらに伝えてしまいました。

そんなこといつもは言わないんですが。

 

そうしたら。

 

「しんどいね」って、手を握ってくれたんです。

 

先生、本当にあの時は救われました。

 

やっぱり人って、たまに温度が欲しくなることあるんですよね。

そんなときに、握ってくれて、声をかけてくれて。

ありがとうって、今も思います。

 

 

 

 

 

 

 

 

A battle against 2

こんにちは。ちょっと間があいてしまいましたが、また再開します。

 

今日、4月20日は前回書いた卵巣出血からちょうど一年になる日です。

今日は無事に出勤していますが、頭がじりじりします。

 

 

2017-2018

 

卵巣出血を乗り越え、何とかまた職場に戻ることができましたが、

絶対安静やら長期療養やらで体力はどん底まで落ちてしまい…

普通の生活を送るのに秋までかかった。

 

やっと落ち着いた。

そう思った。

 

2017.12.31

友人とご飯を食べに行くものの、酒に強いはずなのに、気持ち悪くなる。

頭が痛い。全然消化しない。なにこれ。

 

2018.01.01

元旦なのに頭が痛くて訳が分からない。

耳もふさがっているような気がして、話を聞くのも一苦労だし、自分の声も刺激に。

 

2018.01.04

仕事はじめだが、動くこともままならない頭痛。

耳は相変わらず響くし、冷やしても、痛み止め飲んでも効かず。

仕事を休むことに。

 

2018.01.09

ここでもうこのままでは治らない。行くしかない。

と決意した私はおもむろに病院を調べ始める。

痛み専門のペインクリニック(麻酔科)である。

 

かかりつけの医者から、一度首を診てもらったら?と言われたことを思い出し、

頭も首も診てもらえそうな病院へ。

 

いままで何度もMRIとレントゲンを撮ってきたし、

脳神経外科、内科、整形外科と頭や背中で何年も原因不明だったが…

レントゲンを撮って向かった刹那。

 

『なんでいままで首を診る医者がいなかったんだ?』と言われた。

 

 

 

レントゲンを見せてくれた先生。

実は私は臨床検査技師の生徒だったので画像診断は出来る。

 

これはひどい

その一言に尽きた。

 

 

診断名 

 

変形性頸椎症 頸椎ヘルニア 後頭神経痛

慢性緊張性頭痛 群発性頭痛 片頭痛 との事でした。

 

 

 

それから今日まで週に一回、5本のブロック注射治療と薬物地獄が始まるのであった。

 

今飲んでる薬。

リリカ デパケン セスデン ミオナール セレコックス テプレノン

クリアミン メチコバール SG顆粒 フェロミア ラフチジン

川芎茶調散 疎経活血湯 田七人参 たまに香砂六君子や加味逍遥散など

 

 

頭の闘病日記はメモ用紙や手帳にざっくばらんとかいております。

今後はそれを合わせつつ、いろんなことを記録していきたいと思いますので

よろしくお願いします。

 

 

A battle against since 2008

こんにちは。

見ていただいた方、ありがとうございます。

もしよければ、コメントして行ってくださいね!

 

今日は、今までのケガ、病気の記録を書こうとおもいます。

細かいことも書きますが、そこまで重要ではないです笑

 

次の記事から、毎日の生活、幸せだなと思った事を書いていきます。

覚えている事だけなので、まだまだ病気はありますが、大丈夫!!

 

結構リアルで、グロいので注意です。

画像はのせてません。

 

 

 

 

 

 

 

闘病記。

もともと太れない体質。咳喘息持ち。右足の筋を痛めやすく、リハビリは中学生のころから始める。小学生まで、風邪ばかり引いてた。中学生で歯の矯正を始める。

頭痛もち。花粉症で死にそうになる。胃も弱い。

家庭環境が悪く、いつでも怒鳴りあい。それをきいて死にたいと何度も思い、耳を壊そうとしたこともあるが、やっと最近落ち着いてきた。

 

2008? 

修学旅行中に左足骨折。気が付かず、自分で手当てし病院には行かなかった。

 

2010.7 

空手で痛めた腕が限界に。

滑膜ひだ障害と言われ、人生初手術全身麻酔、入院1週間。

 

2012.7 

空手で捻った?のか左足が痛い。整形外科へ。MRIのため矯正中止。

2008年頃の骨折が曲がってくっついたことと、先天性中足骨短縮症が関係し

て、痛みが出た。見た目薬指が極端に短い。両足共に短い。小指に負担がかかる。

ということで手術。骨切ではなく、創外固定器を4本埋めて3か月過ごす。

変形矯正・脚延長(骨延長)。手術後は車いす

毎日固定器に六角レンチを差し、回すと、わざと骨折させた間が伸びて、その間に再生させる。3か月間、穴が開いているので、マキロンイソジンで常に消毒。ギブスと松葉杖生活。麻痺していたのか意外と痛くなかった。

全身麻酔、覚醒不良。入院2週間。ものすごく病院食が美味しかった…

10月に脱臼防止のために埋めていた針金を抜く。

その後局部麻酔にて装置を外す手術。激痛だった。

骨まで麻酔を入れなくてはならず、4回麻酔を打った。

このころから、生理痛が地獄のようだった。血塊+

術後、リハビリをするも熱が出てしまうのでリハビリは見送り。自宅でピアノのペダル踏みしたり、頑張って歩くことに専念。

血管が当初の3倍近くまでなってしまい、2018年現在も暑い日や歩きすぎた日はすぐに腫れてしまい、どうしても長く歩けない。湿布必須。たまにきついサポーターをする。

 

2013?

胸にしこりを見つける。脇の下にも同様のしこり。

乳がんではないかと疑い、エコーと組織採取。

良性腫瘍が3つ。腫瘍が出来やすい体質かもよと言われるが、治療はしていない。

 

2014-2015

専門学校へ入学。そこでの迷惑行為や、友人の退学が相次ぎ、ストレスを感じたころ、手に水疱がたくさんできるようになる。背中も痛くて座っていられない

左腕は冷やすと我慢できないくらいの重苦しい痛みが襲う。

その後何とか2年生に進級できたが、クラス44人だった入学当時から20人ほどに減ってしまった。とある男性の迷惑行為に耐えられなかった。

大好きだった人もやめてしまい、心の支えがいなくなる。と、背中の痛みと水疱が悪化。低血糖や貧血も引き起こし、頭痛もひどくなる。

多数の病院へ行ったがわからないと言われ、メンタルクリニックへ回される。

掌蹠膿疱症かもと皮膚科で言われ、且つ身体性うつと診断される。

ストレスを感じると身体が反応し、痛くないのに脳が痛みを感じたと誤作動を起こし、どこかに激痛をきたすもの。肋間神経痛も多発。

正月まで粘るも、レポート作成時、涙が止まらなくなり、中退を決意した。

3カ月後、休むことに罪悪感を感じ、2年制の専門学校へ。

 

2016

なんとか学校も休み休みだが行ける。が、熱さまシートや、氷枕がないと寝られないようになった。薬局実習にて立ち仕事を経験したら、3日でドクターストップ。

一生立ち仕事出来ないんだろうなあと思い始める。

通学に片道2時間半かけていたので、首や背中、腰の痛みが悪化。

現在の職場の社長に出会う。

入社を決意するも、健康診断で引っかかる。

ビリルビン3+になってしまい、黄疸のような症状が見えた。

 

2016 夏

足が悪くなったので、知り合いの先生の友人の鍼灸師に診てもらう。

足に鍼を打った瞬間、身体が跳ね上がり、近くにいた先生と友人が逃げていく。

相当邪気が溜まってて、おなかにも何かありそうだから、診てもらいなさいといわれ、病院へ。

検査の結果。上腸間膜動脈症候群と判明。おまけに胆嚢ポリープが2つ

胃カメラは麻酔なしでこれまた地獄を味わうことに。結果、逆流性食道炎慢性胃炎

社長に伝えると、鍼灸と漢方を勧められ、服用開始。

 

2017.4

すこしずつ、よくなってきて、無事卒業。

卒業式に生理がかぶりそうだったのでピルを服用し、やり過ごすも、その次の生理がとてつもない痛みで、立てないほどの貧血、酸欠に。1週間後くらいには回復。

 4月、望み通りのところへ就職。

 4月20日。人生初の救急車に乗る。

早朝4時。なぜかお風呂に入る。途中、右耳が聞こえなくなり、キーンというより、トーンというような低い音が右耳を襲う。その後、視界の端からだんだん暗くなり、しまいには真っ暗に。なんとかお風呂から這い出ることに成功。その後急激な吐き気に襲われ、トイレに這ってたどり着く。3回くらい吐いて、やっと落ち着き、そのまま仕事を早くもお休み。

 それで落ち着くと思いきや、9時ごろ目が覚め、友人と話をして笑ったとき、腹部と胸部が引き連れ、過呼吸のようになった。なんだこれは?と思う間にも、過呼吸は治まらず、結局友人が救急車を呼んでくれた。

 病院に到着し、すぐさま点滴。お話ししている間も呼吸は荒いものの、なんとかだいじょうぶだったけど、CTを撮ろうと横になると、一気に激痛が襲ってきた。

ここまでいろんなことを経験してきたけれど、今回はマジで死ぬんじゃないかと思った。

 3回チャレンジしたけれど、痙攣まではじまったので、一回休憩。

モルヒネを点滴でいれてくれたからか、視界はなくなり、より不安に。

待っていると、あたりがざわつき、先生が来て、頑張って。やらないとだめだよと。いった。なぜそんなことを言ったのか。CRPがとんでもない高値を示していたからだった。

 なんとか仰臥位ではなくうつぶせで息を止めて、CTを取り終えたが、結果、体の中に水が見える。血液かもしれない。造影剤やろう、となって。また横になる。

どこが原因なのかもわからず、痙攣と過呼吸を繰り返す。

 造影剤のあと、車いすで戻ると、親が遠くから来てくれていた。

結果は卵巣出血。しかも血液が外に出ず、すべて腹腔内出血してしまったから、腹腔内刺激での激痛だった。運が悪いね…とひたすら言われる。

 そのまま緊急入院。手術は何とかせずに済んだが、横になることも出来ず、話すのもつらい。深呼吸も出来ない。貧血で嘔吐もする。卵巣の痛みよりも、腹部と胸部を満たす自分の血液に苦しめられた。血液を吸収するために、身体が無理をするらしく、熱が39度まで上がる。寒いのか熱いのか分からない。ここから、激しい頭痛が始まった。

 

 今でもその頭痛の延長線上にいるような気がするし、あのとき輸血か、鉄剤投与されていたら、ここまでひきずらなかったのだろうかとも思う。

 

 

2017年後半から現在はまた次回の記事で。

 

 

ME.

初めまして。SHO と申します。

 

このたび、ブログを始める事になりました。

 

今から10年前、手術をしたことがきっかけで、

いろんな体験、痛みを背負うことになり、今現在、治療を続けています。

ですが、あまりの痛みから麻酔科にかかりながらの生活で、

自分でも驚くくらいの記憶力の低下を自覚しています。

 

お客様第一の医療関係のお仕事をしているにも関わらず、

自分の痛みに動けなくなり、顔が険しくなることも増えてきました。

休みに出かける事も億劫で、本当は、すべて投げ出して寝ていたいとも思います。

 

でもこの経験が、お客様の声を共感するきっかけにもなったり、

治療の辛さを分かってあげられることでもありました。

だから、いまなお仕事は続けています。

 

不安に駆られることが増えてきて、楽しいことも忘れてしまう事が来るのが怖い。

なのでここで思い出をつづろうと思ったわけです。

 

治療の経過は勿論自分用に書くけれど、

本来ものすごく多趣味で金遣いの荒いただのオタクです笑

買ったものや、見たもの。

少ないけれど、出かけてきたものも残したいと思います。

 

なんか重苦しい感じになってはしまいましたが、私は気合で生きてきたので

心は折れません。大丈夫です!!!

 

 

同じように、痛みを抱える方の共感に。

気合で生きる私が少しでもなにか応援になればなあと思います。

 

完治したら、いろんなところにたくさん行って写真撮りまくります!!

※難病ではなく、病気がたくさんあるだけで、いつかは必ず治ると思ってます。

 

次の記事で好きなものや、持病の事、書いていきたいと思います。

熱しやすく、暑苦しい。いろんなものに手を出しすぎて、金がなくなる。

精神論で何もかも乗り越えようとする、人助けが生きる意味の私ですが、

どうぞよろしくお願いいたします。

 

 

 

BEYOND ONE'S ABILITY

『己の限界を飛び越えろ!』