A battle against since 2008
こんにちは。
見ていただいた方、ありがとうございます。
もしよければ、コメントして行ってくださいね!
今日は、今までのケガ、病気の記録を書こうとおもいます。
細かいことも書きますが、そこまで重要ではないです笑
次の記事から、毎日の生活、幸せだなと思った事を書いていきます。
覚えている事だけなので、まだまだ病気はありますが、大丈夫!!
結構リアルで、グロいので注意です。
画像はのせてません。
闘病記。
もともと太れない体質。咳喘息持ち。右足の筋を痛めやすく、リハビリは中学生のころから始める。小学生まで、風邪ばかり引いてた。中学生で歯の矯正を始める。
頭痛もち。花粉症で死にそうになる。胃も弱い。
家庭環境が悪く、いつでも怒鳴りあい。それをきいて死にたいと何度も思い、耳を壊そうとしたこともあるが、やっと最近落ち着いてきた。
2008?
修学旅行中に左足骨折。気が付かず、自分で手当てし病院には行かなかった。
2010.7
空手で痛めた腕が限界に。
滑膜ひだ障害と言われ、人生初手術。全身麻酔、入院1週間。
2012.7
空手で捻った?のか左足が痛い。整形外科へ。MRIのため矯正中止。
2008年頃の骨折が曲がってくっついたことと、先天性中足骨短縮症が関係し
て、痛みが出た。見た目薬指が極端に短い。両足共に短い。小指に負担がかかる。
ということで手術。骨切ではなく、創外固定器を4本埋めて3か月過ごす。
変形矯正・脚延長(骨延長)。手術後は車いす。
毎日固定器に六角レンチを差し、回すと、わざと骨折させた間が伸びて、その間に再生させる。3か月間、穴が開いているので、マキロン、イソジンで常に消毒。ギブスと松葉杖生活。麻痺していたのか意外と痛くなかった。
全身麻酔、覚醒不良。入院2週間。ものすごく病院食が美味しかった…
10月に脱臼防止のために埋めていた針金を抜く。
その後局部麻酔にて装置を外す手術。激痛だった。
骨まで麻酔を入れなくてはならず、4回麻酔を打った。
このころから、生理痛が地獄のようだった。血塊+
術後、リハビリをするも熱が出てしまうのでリハビリは見送り。自宅でピアノのペダル踏みしたり、頑張って歩くことに専念。
血管が当初の3倍近くまでなってしまい、2018年現在も暑い日や歩きすぎた日はすぐに腫れてしまい、どうしても長く歩けない。湿布必須。たまにきついサポーターをする。
2013?
胸にしこりを見つける。脇の下にも同様のしこり。
乳がんではないかと疑い、エコーと組織採取。
良性腫瘍が3つ。腫瘍が出来やすい体質かもよと言われるが、治療はしていない。
2014-2015
専門学校へ入学。そこでの迷惑行為や、友人の退学が相次ぎ、ストレスを感じたころ、手に水疱がたくさんできるようになる。背中も痛くて座っていられない。
左腕は冷やすと我慢できないくらいの重苦しい痛みが襲う。
その後何とか2年生に進級できたが、クラス44人だった入学当時から20人ほどに減ってしまった。とある男性の迷惑行為に耐えられなかった。
大好きだった人もやめてしまい、心の支えがいなくなる。と、背中の痛みと水疱が悪化。低血糖や貧血も引き起こし、頭痛もひどくなる。
多数の病院へ行ったがわからないと言われ、メンタルクリニックへ回される。
掌蹠膿疱症かもと皮膚科で言われ、且つ身体性うつと診断される。
ストレスを感じると身体が反応し、痛くないのに脳が痛みを感じたと誤作動を起こし、どこかに激痛をきたすもの。肋間神経痛も多発。
正月まで粘るも、レポート作成時、涙が止まらなくなり、中退を決意した。
3カ月後、休むことに罪悪感を感じ、2年制の専門学校へ。
2016
なんとか学校も休み休みだが行ける。が、熱さまシートや、氷枕がないと寝られないようになった。薬局実習にて立ち仕事を経験したら、3日でドクターストップ。
一生立ち仕事出来ないんだろうなあと思い始める。
通学に片道2時間半かけていたので、首や背中、腰の痛みが悪化。
現在の職場の社長に出会う。
入社を決意するも、健康診断で引っかかる。
ビリルビン3+になってしまい、黄疸のような症状が見えた。
2016 夏
足が悪くなったので、知り合いの先生の友人の鍼灸師に診てもらう。
足に鍼を打った瞬間、身体が跳ね上がり、近くにいた先生と友人が逃げていく。
相当邪気が溜まってて、おなかにも何かありそうだから、診てもらいなさいといわれ、病院へ。
検査の結果。上腸間膜動脈症候群と判明。おまけに胆嚢ポリープが2つ。
胃カメラは麻酔なしでこれまた地獄を味わうことに。結果、逆流性食道炎、慢性胃炎。
社長に伝えると、鍼灸と漢方を勧められ、服用開始。
2017.4
すこしずつ、よくなってきて、無事卒業。
卒業式に生理がかぶりそうだったのでピルを服用し、やり過ごすも、その次の生理がとてつもない痛みで、立てないほどの貧血、酸欠に。1週間後くらいには回復。
4月、望み通りのところへ就職。
4月20日。人生初の救急車に乗る。
早朝4時。なぜかお風呂に入る。途中、右耳が聞こえなくなり、キーンというより、トーンというような低い音が右耳を襲う。その後、視界の端からだんだん暗くなり、しまいには真っ暗に。なんとかお風呂から這い出ることに成功。その後急激な吐き気に襲われ、トイレに這ってたどり着く。3回くらい吐いて、やっと落ち着き、そのまま仕事を早くもお休み。
それで落ち着くと思いきや、9時ごろ目が覚め、友人と話をして笑ったとき、腹部と胸部が引き連れ、過呼吸のようになった。なんだこれは?と思う間にも、過呼吸は治まらず、結局友人が救急車を呼んでくれた。
病院に到着し、すぐさま点滴。お話ししている間も呼吸は荒いものの、なんとかだいじょうぶだったけど、CTを撮ろうと横になると、一気に激痛が襲ってきた。
ここまでいろんなことを経験してきたけれど、今回はマジで死ぬんじゃないかと思った。
3回チャレンジしたけれど、痙攣まではじまったので、一回休憩。
モルヒネを点滴でいれてくれたからか、視界はなくなり、より不安に。
待っていると、あたりがざわつき、先生が来て、頑張って。やらないとだめだよと。いった。なぜそんなことを言ったのか。CRPがとんでもない高値を示していたからだった。
なんとか仰臥位ではなくうつぶせで息を止めて、CTを取り終えたが、結果、体の中に水が見える。血液かもしれない。造影剤やろう、となって。また横になる。
どこが原因なのかもわからず、痙攣と過呼吸を繰り返す。
造影剤のあと、車いすで戻ると、親が遠くから来てくれていた。
結果は卵巣出血。しかも血液が外に出ず、すべて腹腔内出血してしまったから、腹腔内刺激での激痛だった。運が悪いね…とひたすら言われる。
そのまま緊急入院。手術は何とかせずに済んだが、横になることも出来ず、話すのもつらい。深呼吸も出来ない。貧血で嘔吐もする。卵巣の痛みよりも、腹部と胸部を満たす自分の血液に苦しめられた。血液を吸収するために、身体が無理をするらしく、熱が39度まで上がる。寒いのか熱いのか分からない。ここから、激しい頭痛が始まった。
今でもその頭痛の延長線上にいるような気がするし、あのとき輸血か、鉄剤投与されていたら、ここまでひきずらなかったのだろうかとも思う。
2017年後半から現在はまた次回の記事で。